

　金井湛君は哲学が職業である。
　哲学者という概念には、何か書物を書いているということが伴う。金井君は哲学が職業である癖に、なんにも書物を書いていない。文科大学を卒業するときには、外道哲学と  前の希臘哲学との比較的研究とかいう題で、余程へんなものを書いたそうだ。それからというものは、なんにも書かない。
　しかし職業であるから講義はする。講座は哲学史を受け持っていて、近世哲学史の講義をしている。学生の評判では、本を沢山書いている先生方の講義よりは、金井先生の講義の方が面白いということである。講義は直観的で、或物の上に強い光線を投げることがある。そういうときに、学生はいつまでも消えない印象を得るのである。殊に縁の遠い物、何の関係もないような物を藉りて来て或物を説明して、聴く人がはっと思って会得するというような事が多い。 は新聞の雑報のような世間話を材料帳に留めて置いて、自己の哲学の材料にしたそうだが、金井君は何をでも哲学史の材料にする。真面目な講義の中で、その頃青年の読んでいる小説なんぞを引いて説明するので、学生がびっくりすることがある。
　小説は沢山読む。新聞や雑誌を見るときは、議論なんぞは見ないで、小説を読む。しかし若し何と思って読むかということを作者が知ったら、作者は憤慨するだろう。芸術品として見るのではない。金井君は芸術品には非常に高い要求をしているから、そこいら中にある小説はこの要求を充たすに足りない。金井君には、作者がどういう心理的状態で書いているかということが面白いのである。それだから金井君の為めには、作者が悲しいとか悲壮なとかいう積で書いているものが、極て滑稽に感ぜられたり、作者が滑稽の積で書いているものが、却て悲しかったりする。
　金井君も何か書いて見たいという考はおりおり起る。哲学は職業ではあるが、自己の哲学を建設しようなどとは思わないから、哲学を書く気はない。それよりは小説か脚本かを書いて見たいと思う。しかし例の芸術品に対する要求が高い為めに、容易に取り附けないのである。
　そのうちに夏目金之助君が小説を書き出した。金井君は非常な興味を以て読んだ。そして技癢を感じた。そうすると夏目君の「我輩は猫である」に対して、「我輩も猫である」というようなものが出る。「我輩は犬である」というようなものが出る。金井君はそれを見て、ついつい嫌になってなんにも書かずにしまった。
　そのうち自然主義ということが始まった。金井君はこの流義の作品を見たときは、格別技癢をば感じなかった。その癖面白がることは非常に面白がった。面白がると同時に、金井君は妙な事を考えた。
　金井君は自然派の小説を読む度に、その作中の人物が、行住坐臥造次顛沛、何に就けても性欲的写象を伴うのを見て、そして批評が、それを人生を写し得たものとして認めているのを見て、人生は果してそんなものであろうかと思うと同時に、或は自分が人間一般の心理的状態を外れて性欲に冷澹であるのではないか、特に  とでも名づくべき異常な性癖を持って生れたのではあるまいかと思った。そういう想像は、 の小説などを読んだ時にも起らぬではなかった。しかしそれは  やなんぞで、労働者の部落の人間が、困厄の極度に達した処を書いてあるとき、或る男女の逢引をしているのを覗きに行く段などを見て、そう思ったのであるが、その時の疑は、なんで作者がそういう処を、わざとらしく書いているだろうというのであって、それが有りそうでない事と思ったのでは無い。そんな事もあるだろうが、それを何故作者が書いたのだろうと疑うに過ぎない。即ち作者一人の性欲的写象が異常ではないかと思うに過ぎない。小説家とか詩人とかいう人間には、性欲の上には異常があるかも知れない。この問題は  なんぞの説いている天才問題とも関係を有している。 一派の人が、名のある詩人や哲学者を片端から掴まえて、精神病者として論じているも、そこに根柢を有している。しかし近頃日本で起った自然派というものはそれとは違う。大勢の作者が一時に起って同じような事を書く。批評がそれを人生だと認めている。その人生というものが、精神病学者に言わせると、一々の写象に性欲的色調を帯びているとでも云いそうな風なのだから、金井君の疑惑は前より余程深くなって来たのである。
　そのうちに出歯亀事件というのが現われた。出歯亀という職人が不断女湯を覗く癖があって、あるとき湯から帰る女の跡を附けて行って、暴行を加えたのである。どこの国にも沢山ある、極て普通な出来事である。西洋の新聞ならば、紙面の隅の方の二三行の記事になる位の事である。それが一時世間の大問題に膨脹する。所謂自然主義と聯絡を附けられる。出歯亀主義という自然主義の別名が出来る。出歯るという動詞が出来て流行する。金井君は、世間の人が皆色情狂になったのでない限は、自分だけが人間の仲間はずれをしているかと疑わざることを得ないことになった。
　その頃或日金井君は、教場で学生の一人が  の哲学入門という小さい本を持っているのを見た。講義の済んだとき、それを手に取って見て、どんな本だと問うた。学生は、「南江堂に来ていたから、参考書になるかと思って買って来ました、まだ読んで見ませんが、先生が御覧になるならお持下さい」と云った。金井君はそれを借りて帰って、その晩丁度暇があったので読んで見た。読んで行くうちに、審美論の処になって、金井君は大いに驚いた。そこにこういう事が書いてある。あらゆる芸術は  である。口説くのである。性欲を公衆に向って発揮するのであると論じている。そうして見ると、月経の血が戸惑をして鼻から出ることもあるように、性欲が絵画になったり、彫刻になったり、音楽になったり、小説脚本になったりするということになる。金井君は驚くと同時に、こう思った。こいつはなかなか奇警だ。しかし奇警ついでに、何故この説をも少し押し広めて、人生のあらゆる出来事は皆性欲の発揮であると立てないのだろうと思った。こんな論をする事なら、同じ論法で何もかも性欲の発揮にしてしまうことが出来よう。宗教などは性欲として説明することが最も容易である。基督を壻だというのは普通である。聖者と崇められた尼なんぞには、実際性欲を  の方角に発揮したに過ぎないのがいくらもある。献身だなんぞという行をした人の中には、 もいれば  もいる。性欲の目金を掛けて見れば、人間のあらゆる出来事の発動機は、一として性欲ならざるはなしである。   はあらゆる人事世相に応用することが出来る。金井君は、若しこんな立場から見たら、自分は到底人間の仲間はずれたることを免れないかも知れないと思った。
　そこで金井君の何か書いて見ようという、兼ての希望が、妙な方角に向いて動き出した。金井君はこんな事を思った。一体性欲というものが人の生涯にどんな順序で発現して来て、人の生涯にどれだけ関係しているかということを徴すべき文献は甚だ少いようだ。芸術に猥褻な絵などがあるように、 はどこの国にもある。婬書はある。しかしそれは真面目なものでない。総ての詩の領分に恋愛を書いたものはある。しかし恋愛は、よしや性欲と密接な関繋を有しているとしても、性欲と同一ではない。裁判の記録や、医者の書いたものに、多少の材料はある。しかしそれは多く性欲の変態ばかりである。 の懺悔記は随分思い切って無遠慮に何でも書いたものだ。子供の時教えられた事を忘れると、牧師のお嬢さんが掴まえてお尻を打つ。それが何とも云えない好い心持がするので、知ったことをわざと知らない振をして、間違った事を言ったり何かして、お嬢さんに打って貰った。ところが、いつかお嬢さんが情を知って打たなくなったなどということが書いてある。これは性欲の最初の発動であって、決して初恋ではない。その外、青年時代の記事には性欲の事もちょいちょい見えている。しかし性欲を主にして書いたものではないから飽き足らない。 は生涯を性欲の犠牲に供したと云っても好い男だ。あの男の書いた回想記は一の大著述であって、あの大部な書物の内容は、徹頭徹尾性欲で、恋愛などにまぎらわしい処はない。しかし拿破崙の名聞心が甚だしく常人に超越している為めに、その自伝が名聞心を研究する材料になりにくいと同じ事で、性欲界の豪傑  の書いたものも、性欲を研究する材料にはなりにくい。譬えば  の  や奈良の大仏が人体の形の研究には適せないようなものである。おれは何か書いて見ようと思っているのだが、前人の足跡を踏むような事はしたくない。丁度好いから、一つおれの性欲の歴史を書いて見ようかしらん。実はおれもまだ自分の性欲が、どう萌芽してどう発展したか、つくづく考えて見たことがない。一つ考えて書いて見ようかしらん。白い上に黒く、はっきり書いて見たら、自分が自分でわかるだろう。そうしたら或は自分の性欲的生活が  だか  だか分かるかも知れない。勿論書いて見ない内は、どんなものになるやら分らない。随て人に見せられるようなものになるやら、世に公にせられるようなものになるやら分らない。とにかく暇なときにぽつぽつ書いて見ようと、こんな風な事を思った。
　そこへ独逸から郵便物が届いた。いつも書籍を送ってくれる書肆から届いたのである。その中に性欲的教育の問題を或会で研究した報告があった。性欲的というのは妥でない。 は性的である。性欲的ではない。しかし性という字があまり多義だから、不本意ながら欲の字を添えて置く。さて教育の範囲内で、性欲的教育をせねばならないものだろうか、せねばならないとしたところで、果してそれが出来るだろうかというのが問題である。或会で教育家を一人、宗教家を一人、医学者を一人と云う工合に、おのおのその向の  とすべき人物を選んで、意見を叩いたのが、この報告になって出たのである。然るに三人の議論の道筋はそれそれ別であるが、性欲的教育は必要であるか、然り、做し得らるるであろうか、然りという答に帰着している。家庭でするが好いという意見もある。学校でするが好いという意見もある。とにかく為るが好い、出来ると決している。教える時期は固より物心が附いてからである。婚礼の前に絵を見せるという話は我国にもあるが、それを少し早めるのである。早めるのは、婚礼の直前まで待っては、その内に間違があるというのである。話は下級生物の繁殖から始めて、次第に人類に及ぶというのである。初に下級生物を話すとはいうが、唯植物の雄蕋雌蕋の話をして、動物もまた復是の如し、人類もまた復是の如しでは何の役にも立たない。人の性欲的生活をも詳しく説かねばならぬというのである。
　金井君はこれを読んで、暫く腕組をして考えていた。金井君の長男は今年高等学校を卒業する。仮に自分が息子に教えねばならないとなったら、どう云ったら好かろうと考えた。そして非常にむつかしい事だと思った。具体的に考えて見れば見る程詞を措くに窮する。そこで前に書こうと思っていた、自分の性欲的生活の歴史の事を考えて、金井君は問題の解決を得たように思った。あれを書いて見て、どんなものになるか見よう。書いたものが人に見せられるか、世に公にせられるかより先に、息子に見せられるかということを検して見よう。金井君はこう思って筆を取った。

　　　　　　　　＊

　六つの時であった。
　中国の或る小さいお大名の御城下にいた。廃藩置県になって、県庁が隣国に置かれることになったので、城下は俄に寂しくなった。
　お父様は殿様と御一しょに東京に出ていらっしゃる。お母様が、湛ももう大分大きくなったから、学校に遣る前から、少しずつ物を教えて置かねばならないというので、毎朝仮名を教えたり、手習をさせたりして下さる。
　お父様は藩の時徒士であったが、それでも土塀を繞らした門構の家にだけは住んでおられた。門の前はお濠で、向うの岸は上のお蔵である。
　或日お稽古が済むと、お母様は機を織っていらっしゃる。僕は「遊んでまいります」という一声を残して駈け出した。
　この辺は屋敷町で、春になっても、柳も見えねば桜も見えない。内の塀の上から真赤な椿の花が見えて、お米蔵の側の臭橘に薄緑の芽の吹いているのが見えるばかりである。
　西隣に空地がある。石瓦の散らばっている間に、げんげや菫の花が咲いている。僕はげんげを摘みはじめた。暫く摘んでいるうちに、前の日に近所の子が、男の癖に花なんぞを摘んで可笑しいと云ったことを思い出して、急に身の周囲を見廻して花を棄てた。幸に誰も見ていなかった。僕はぼんやりして立っていた。晴れた麗かな日であった。お母様の機を織ってお出なさる音が、ぎいとん、ぎいとんと聞える。
　空地を隔てて小原という家がある。主人は亡くなって四十ばかりの後家さんがいるのである。僕はふいとその家へ往く気になって、表口へ廻って駈け込んだ。
　草履を脱ぎ散らして、障子をがらりと開けて飛び込んで見ると、おばさんはどこかの知らない娘と一しょに本を開けて見ていた。娘は赤いものずくめの着物で、髪を島田に結っている。僕は子供ながら、この娘は町の方のものだと思った。おばさんも娘も、ひどく驚いたように顔を上げて僕を見た。二人の顔は真赤であった。僕は子供ながら、二人の様子が当前でないのが分って、異様に感じた。見れば開けてある本には、綺麗に彩色がしてある。
「おば様。そりゃあ何の絵本かのう」
　僕はつかつかと側へ往った。娘は本を伏せて、おばさんの顔を見て笑った。表紙にも彩色がしてあって、見れば女の大きい顔が書いてあった。
　おばさんは娘の伏せた本を引ったくって開けて、僕の前に出して、絵の中の何物かを指ざして、こう云った。
「しずさあ。あんたはこれを何と思いんさるかの」
　娘は一層声を高くして笑った。僕は覗いて見たが、人物の姿勢が非常に複雑になっているので、どうもよく分らなかった。
「足じゃろうがの」
　おばさんも娘も一しょに大声で笑った。足ではなかったと見える。僕は非道く侮辱せられたような心持がした。
「おば様。又来ます」
　僕はおばさんの待てというのを聴かずに、走って戸口を出た。
　僕は二人の見ていた絵の何物なるかを判断する智識を有せなかった。しかし二人の言語挙動を非道く異様に、しかも不愉快に感じた。そして何故か知らないが、この出来事をお母様に問うことを憚った。

　　　　　　　　＊

　七つになった。
　お父様が東京からお帰になった。僕は藩の学問所の址に出来た学校に通うことになった。
　内から学校へ往くには、門の前のお濠の西のはずれにある木戸を通るのである。木戸の番所の址がまだ元のままになっていて、五十ばかりのじいさんが住んでいる。女房も子供もある。子供は僕と同年位の男の子で、襤褸を着て、いつも二本棒を垂らしている。その子が僕の通る度に、指を銜えて僕を見る。僕は厭悪と多少の畏怖とを以てこの子を見て通るのであった。
　或日木戸を通るとき、いつも外に立っている子が見えなかった。おれはあの子はどうしたかと思いながら、通り過ぎようとした。その時番所址の家の中で、じいさんの声がした。
「こりい。それう持ってわやくをしちゃあいけんちゅうのに」
　僕はふいと立ち留って声のする方を見た。じいさんは胡坐をかいて草鞋を作っている。今叱ったのは、子供が藁を打つ槌を持ち出そうとしたからである。子供は槌を措いておれの方を見た。じいさんもおれの方を見た。濃い褐色の皺の寄った顔で、曲った鼻が高く、頬がこけている。目はぎょろっとしていて、白目の裡に赤い処や黄いろい処がある。じいさんが僕にこう云った。
「坊様。あんたあお父さまとおっ母さまと夜何をするか知っておりんさるかあ。あんたあ寐坊じゃけえ知りんさるまあ。あははは」
　じいさんの笑う顔は実に恐ろしい顔である。子供も一しょになって、顔をくしゃくしゃにして笑うのである。
　僕は返事をせずに、逃げるように通り過ぎた。跡にはまだじいさんと子供との笑う声がしていた。
　道々じいさんの云った事を考えた。男と女とが夫婦になっていれば、その間に子供が出来るということは知っている。しかしどうして出来るか分らない。じいさんの言った事はその辺に関しているらしい。その辺になんだか秘密が伏在しているらしいと、こんな風に考えた。
　秘密が知りたいと思っても、じいさんの言うように、夜目を醒ましていて、お父様やお母様を監視せようなどとは思わない。じいさんがそんな事を言ったのは、子供の心にも、 である、褻涜であるというように感ずる。お社の御簾の中へ土足で踏み込めといわれたと同じように感ずる。そしてそんな事を言ったじいさんが非道く憎いのである。
　こんな考はその後木戸を通る度に起った。しかし子供の意識は断えず応接に遑あらざる程の新事実に襲われているのであるから、長く続けてそんな事を考えていることは出来ない。内に帰っている時なんぞは、大抵そんな事は忘れているのであった。

　　　　　　　　＊

　十になった。
　お父様が少しずつ英語を教えて下さることになった。
　内を東京へ引き越すようになるかも知れないという話がおりおりある。そんな話のある時、聞耳を立てると、お母様が余所の人に言うなと仰ゃる。お父様は、若し東京へでも行くようになると、余計な物は持って行かれないから、物を選り分けねばならないというので、よく蔵にはいって何かしていらっしゃる。蔵は下の方には米がはいっていて、二階に長持や何かが入れてあった。お父様のこのお為事も、客でもあると、すぐに止めておしまいになる。
　何故人に言っては悪いのかと思って、お母様に問うて見た。お母様は、東京へは皆行きたがっているから、人に言うのは好くないと仰ゃった。
　或日お父様のお留守に蔵の二階へ上って見た。蓋を開けたままにしてある長持がある。色々な物が取り散らしてある。もっと小さい時に、いつも床の間に飾ってあった鎧櫃が、どうしたわけか、二階の真中に引き出してあった。甲冑というものは、何でも五年も前に、長州征伐があった時から、信用が地に墜ちたのであった。お父様が古かね屋にでも遣っておしまいなさるお積で、疾うから蔵にしまってあったのを、引き出してお置になったのかも知れない。
　僕は何の気なしに鎧櫃の蓋を開けた。そうすると鎧の上に本が一冊載っている。開けて見ると、綺麗に彩色のしてある絵である。そしてその絵にかいてある男と女とが異様な姿勢をしている。僕は、もっと小さい時に、小原のおばさんの内で見た本と同じ種類の本だと思った。しかしもう大分それを見せられた時よりは智識が加わっているのだから、その時よりは熟く分った。 の壁画の人物も、大胆な遠近法を使ってかいてあるとはいうが、こんな絵の人物には、それとは違って、随分無理な姿勢が取らせてあるのだから、小さい子供に、どこに手があるやら足があるやら弁えにくかったのも無理は無い。今度は手も足も好く分った。そして兼て知りたく思った秘密はこれだと思った。
　僕は面白く思って、幾枚かの絵を繰り返して見た。しかしここに注意して置かなければならない事がある。それはこういう人間の振舞が、人間の欲望に関係を有しているということは、その時少しも分らなかった。 はこういう事を言っている。人間は容易に醒めた意識を以て子を得ようと謀るものではない。自分の胤の繁殖に手を着けるものではない。そこで自然がこれに愉快を伴わせる。これを欲望にする。この愉快、この欲望は、自然が人間に繁殖を謀らせる詭謀である、餌である。こんな餌を与えないでも、繁殖に差支のないのは、下等な生物である。醒めた意識を有せない生物であると云っている。僕には、この絵にあるような人間の振舞に、そんな餌が伴わせてあるということだけは、少しも分らなかったのである。僕の面白がって、繰り返して絵を見たのは、只まだ知らないものを知るのが面白かったに過ぎない。 に過ぎない。 に過ぎない。小原のおばさんに見せて貰っていた、島田髷の娘とは、全く別様な眼で見たのである。
　さて繰り返して見ているうちに、疑惑を生じた。それは或る体の部分が馬鹿に大きくかいてあることである。もっと小さい時に、足でないものを足だと思ったのも、無理は無いのである。一体こういう画はどこの国にもあるが、或る体の部分をこんなに大きくかくということだけは、世界に類が無い。これは日本の浮世絵師の発明なのである。昔希臘の芸術家は、神の形を製作するのに、額を大きくして、顔の下の方を小さくした。額は霊魂の舎るところだから、それを引き立たせる為めに大きくした。顔の下の方、口のところ、咀嚼に使う上下の顎に歯なんぞは、卑しい体の部であるから小さくした。若しこっちの方を大きくすると、段々猿に似て来るのである。 の面角が段々小さくなって来るのである。それから腹の割合に胸を大きくした。腹が顎や歯と同じ関係を有しているということは、別段に説明することを要せない。飲食よりは呼吸の方が、上等な作用である。その上昔の人は胸に、詳しく言えば心の臓に、血の循行ではなくて、精神の作用を持たせていたのである。その額や胸を大きくしたと同じ道理で、日本の浮世絵師は、こんな画をかく時に、或る体の部分を大きくしたのである。それがどうも僕には分らなかった。
　肉蒲団という、支那人の書いた、けしからん猥褻な本がある。お負に支那人の癖で、その物語の組立に善悪の応報をこじつけている。実に馬鹿げた本である。その本に未央生という主人公が、自分の或る体の部分が小さいようだというので、人の小便するのを覗いて歩くことが書いてある。僕もその頃人が往来ばたで小便をしていると、覗いて見た。まだ御城下にも辻便所などはないので、誰でも道ばたでしたのである。そして誰のも小さいので、画にうそがかいてあると判断して、天晴発見をしたような積でいたのである。
　これが僕の可笑しな絵を見てから実世界の観察をした一つである。今一つの観察は、少し書きにくいが、真実の為めに強いて書く。僕は女の体の或る部分を目撃したことが無い。その頃御城下には湯屋なんぞはない。内で湯を使わせてもらっても、親類の家に泊って、余所の人に湯を使わせてもらっても、自分だけが裸にせられて、使わせてくれる人は着物を着ている。女は往来で手水もしない。これには甚だ窮した。
　学校では、女の子は別な教場で教えることになっていて、一しょに遊ぶことも絶て無い。若し物でも言うと、すぐに友達仲間で嘲弄する。そこで女の友達というものはなかった。親類には娘の子もあったが、節句だとか法事だとかいうので来ることがあっても、余所行の着物を着て、お化粧をして来て、大人しく何か食べて帰るばかりであった。心安いのはない。只内の裏に、藩の時に小人と云ったものが住んでいて、その娘に同年位なのがいた。名は勝と云った。小さい蝶々髷を結っておりおり内へ遊びに来る。色の白い頬っぺたの膨らんだ子で、性質が極素直であった。この子が、気の毒にも、僕の試験の対象物にせられた。
　五月雨の晴れた頃であった。お母様は相変らず機を織っていらっしゃる。蒸暑い午過で、内へ針為事に来て、台所の手伝をしている婆あさんは昼寝をしている。お母様の梭の音のみが、ひっそりしている家に響き渡っている。
　僕は裏庭の蔵の前で、蜻の尻に糸を附けて飛ばせていた。花の一ぱい咲いている百日紅の木に、蝉が来て鳴き出した。覗いて見たが、高い処なので取れそうにない。そこへ勝が来た。勝も内のものが昼寝をしたので、寂しくなって出掛けて来たのである。
「遊びましょうやあ」
　これが挨拶である。僕は忽ち一計を案じ出した。
「うむ。あの縁から飛んで遊ぼう」
　こう云って草履を脱いで縁に上った。勝も附いて来て、赤い緒の雪踏を脱いで上った。僕は先ず跣足で庭の苔の上に飛び降りた。勝も飛び降りた。僕は又縁に上って、尻をった。
「こうして飛ばんと、着物が邪魔になって行けん」
　僕は活溌に飛び降りた。見ると、勝はぐずぐずしている。
「さあ。あんたも飛びんされえ」
　勝は暫く困ったらしい顔をしていたが、無邪気な素直な子であったので、とうとう尻をって飛んだ。僕は目を円くして覗いていたが、白い脚が二本白い腹に続いていて、なんにも無かった。僕は大いに失望した。 で  を踊る女の股の間を覗いて、羅に織り込んである金糸の光るのを見て、失望する紳士の事を思えば、罪のない話である。

　その歳の秋であった。
　僕の国は盆踊の盛な国であった。旧暦の盂蘭盆が近づいて来ると、今年は踊が禁ぜられるそうだという噂があった。しかし県庁で他所産の知事さんが、僕の国のものに逆うのは好くないというので、黙許するという事になった。
　内から二三丁ばかり先は町である。そこに屋台が掛かっていて、夕方になると、踊の囃子をするのが内へ聞える。
　踊を見に往っても好いかと、お母様に聞くと、早く戻るなら、往っても好いということであった。そこで草履を穿いて駈け出した。
　これまでも度々見に往ったことがある。もっと小さい時にはお母様が連れて行って見せて下すった。踊るものは、表向は町のものばかりというのであるが、皆頭巾で顔を隠して踊るのであるから、侍の子が沢山踊りに行く。中には男で女装したのもある。女で男装したのもある。頭巾を着ないものは百眼というものを掛けている。西洋でする  は一月で、季節は違うが、人間は自然に同じような事を工夫し出すものである。西洋にも、収穫の時の踊は別にあるが、その方には仮面を被ることはないようである。
　大勢が輪になって踊る。覆面をして踊りに来て、立って見ているものもある。見ていて、気に入った踊手のいる処へ、いつでも割り込むことが出来るのである。
　僕は踊を見ているうちに、覆面の連中の話をするのがふいと耳に入った。識りあいの男二人と見える。
「あんたあゆうべ愛宕の山へ行きんさったろうがの」
「を言いんさんな」
「いいや。何でも行きんさったちゅう事じゃ」
　こういうような問答をしていると、今一人の男が側から口を出した。
「あそこにゃあ、朝行って見ると、いろいろな物が落ちておるげな」
　跡は笑声になった。僕は穢い物に障ったような心持がして、踊を見るのを止めて、内へ帰った。

　　　　　　　　＊

　十一になった。
　お父様が東京へ連れて出て下すった。お母様は跡に残ってお出なすった。いつも手伝に来る婆あさんが越して来て、一しょにいるのである。少し立てば、跡から行くということであった。多分家屋敷が売れるまで残ってお出なすったのであろう。
　旧藩の殿様のお邸が向島にある。お父様はそこのお長屋のあいているのにはいって、婆あさんを一人雇って、御飯を焚かせて暮らしてお出になる。
　お父様は毎日出て、晩になってお帰になる。僕の行く学校をも捜して下さるということであった。お父様がお出掛になると、二十ばかりの上さんが勝手口へ来て、前掛を膨らませて帰って行く。これは婆あさんが米を盗んで、娘に持たせて遣るのであった。後にお母様がお出になって、この事が知れて、婆あさんは逐い出された。僕は余程ぼんやりした小僧であった。
　一しょに遊んでくれる子供もない。家職のものの息子で、年が二つばかり下なのがいたが、初て逢った日に、お邸の池の鯉を釣ろうと云ったので、嫌になって一しょに遊ばない事にした。家扶の娘の十二三になるのを頭にして、娘が二三人いたが、僕を見ると遠い処から指ざしなんぞをして、きあって笑ったり何かする。これも嫌な女どもだと思った。
　御殿のお次に行って見る。家従というものが二三人控えている。大抵烟草を飲んで雑談をしている。おれがいても、別に邪魔にもしない。そこで色々な事を聞いた。
　最も屡ば話の中に出て来るのは吉原という地名と奥山という地名とである。吉原は彼等の常に夢みている天国である。そしてその天国の荘厳が、幾分かお邸の力で保たれているということである。家令はお邸の金を高い利で吉原のものに貸す。その縁故で彼等が行くと、特に優待せられるそうだ。そこで手ん手に吉原へ行った話をする。聞いていても半分は分らない。又半分位分るようであるが、それがちっとも面白くない。中にはこんな事をいう男がある。
「こんだあ、あんたを連れて行って上げうかあ。綺麗な女郎が可哀がってくれるぜえ」
　そういう時にはみんなが笑う。
　奥山の話は榛野という男の事に連帯して出るのが常になっている。家従どもは大抵菊石であったり、獅子鼻であったり、反歯であったり、満足な顔はしていない。それと違って榛野というのは、色の白い、背の高い男で、髪を長くして、油を附けて、項まで分けていた。この男は何という役であったか知らぬが、先ず家従どもの上席位の待遇を受けて、文書の立案というような事をしていた。家従どもはこんな事を言う。
「榛野さあのように大事にして貰われれば、こっちとらも奥山へ行くけえど、銭う払うて楊弓を引いても、ろくに話もしてくれんけえ、ほんつまらんいのう」
　榛野はこの仲間の  であった。そして僕は程なくこの男のために  たり、また  たる女子どもを見ることを得たのである。
　お庭の蝉の声の段々やかましゅうなる頃であった。お父様の留守にぼんやりしていると、麻という家従が外から声を掛けた。
「しずさあ。居りんさるかあ。今からお使に行くけえ、一しょに来んされえ。浅草の観音様に連れて行って上げう」
　観音様へはお父様が一度連れて行って下すったことがある。僕は喜んで下駄を引っ掛けて出た。
　吾妻橋を渡って、並木へ出て買物をした。それから引き返して、中店をぶらぶら歩いた。亀の形をしたおもちゃの糸で吊したのを、沢山持って、「器械の亀の子、選り取った選り取った」などと云っている男がある。亀の首や尾や四足がぶるぶると動いている。麻は絵草紙屋の前に立ち留まった。おれは西南戦争の錦絵を見ていると、麻は店前に出してある、帯封のしてある本を取り上げて、店番の年増にこう云うのである。
「お上さん。これを騙されて買って行く奴がまだありますか。はははは」
「それでもちょいちょい売れますよ。一向つまらない事が書いてあるのでございますが。おほほほ」
「どうでしょう。本当のを売ってくれませんかね」
「御笑談を仰ゃいます。なかなか当節は警察がやかましゅうございまして」
　帯封の本には、表紙に女の顔が書いてあって、その上に「笑い本」と大字で書いてある。これはその頃絵草紙屋にあっただまし物である。中には一口噺か何かを書いて、わざと秘密らしく帯封をして、かの可笑しな画を欲しがるものに売るのである。
　僕は子供ではあったが、問答の意味をおおよそ解した。しかしその問答の意味よりは、麻の自在に東京詞を使うのが、僕の注意を引いた。そして麻は何故これ程東京詞が使えるのに、お屋敷では国詞を使うだろうかということを考えて見た。国もの同志で国詞を使うのは、固より当然である。しかし麻が二枚の舌を使うのは、その為めばかりではないらしい。彼は上役の前で淳樸を装うために国詞を使うのではあるまいか。僕はその頃からもうこんな事を考えた。僕はぼんやりしているかと思うと、又余り無邪気でない処のある子であった。
　観音堂に登る。僕の物を知りたがる欲は、僕の目を、只真黒な格子の奥の、蝋燭の光の覚束ない辺に注がせる。蹲んで、体を鰕のように曲げて、何かぐずぐず云って祈っている爺さん婆あさん達の背後を、堂の東側へ折れて、おりおりかちゃかちゃという賽銭の音を聞き棄てて堂を降りる。
　この辺には乞食が沢山いた。その間に、五色の沙で書画をかいて見せる男がある。少し広い処に、大勢の見物が輪を作って取り巻いているのは、居合ぬきである。麻と一しょに暫く立って見ていた。刀が段々に掛けてある。下の段になるだけ長いのである。色々な事を饒舌っているが、なかなか抜かない。そのうち麻が、つと退くから、何か分からずに附いて退いた。振り返って見れば、銭を集める男が、近処へ来ていたのであった。
　楊弓店のある、狭い巷に出た。どの店にもお白いを附けた女のいるのを、僕は珍らしく思って見た。お父様はここへは連れて来なかったのである。僕はこの女達の顔に就いて、不思議な観察をした。彼等の顔は当前の人間の顔ではないのである。今まで見た、普通の女とは違って、皆一種の  な顔をしている。僕の今の詞を以て言えば、この女達の顔は凝結した表情を示しているのである。僕はその顔を見てこう思った。何故皆揃ってあんな顔をしているのであろう。子供に好い子をお為というと、変な顔をする。この女達は、皆その子供のように、変な顔をしている。眉はなるたけ高く、甚だしきは髪の生際まで吊るし上げてある。目をなるたけ大きくっている。物を言っても笑っても、鼻から上を動かさないようにしている。どうして言い合せたように、こんな顔をしているだろうと思った。僕には分からなかったが、これは売物の顔であった。これは  の相貌であった。
　女はやかましい声で客を呼ぶ「ちいと、旦那」というのが尤多い。「ちょいと」とはっきり聞えるのもあるが、多くは「ちいと」と聞える。「紺足袋の旦那」なんぞと云う奴もある。麻は紺足袋を穿いていた。
「あら、麻さん」
　一際鋭い呼声がした。麻はその店にはいって腰を掛けた。僕は呆れて立って見ていると、麻が手真似で掛けさせた。円顔の女である。物を言うと、薄い唇の間から、鉄漿を剥がした歯が見える。長い烟管に烟草を吸い附けて、吸口を袖で拭いて、例の鼻から上を動かさずに、麻に出す。
「何故拭くのだ」
「だって失礼ですから」
「榛野でなくっては、拭かないのは飲まして貰えないのだね」
「あら、榛野さんにだっていつでも拭いて上げまさあ」
「そうかね。拭いて上げるかね」
　こんな風な会話である。詞が二様の意義を有している。麻は僕がその第二の意義に対して、何等の想像をも画き得るものとは認めていない。女も僕をば空気の如くに取り扱っている。しかし僕には少しの不平も起らない。僕はこの女は嫌であった。それだから物なんぞを言って貰いたくはなかった。
　麻が楊弓を引いて見ないかと云ったが、僕は嫌だと云った。
　麻は間もなく楊弓店を出た。それから猿若町を通って、橋場の渡を渡って、向島のお邸に帰った。
　同じ頃の事であった。家従達の仲間に、銀林と云う針医がいて、折々彼等の詰所に来て話していた。これはお上のお療治に来るので、お国ものではない。江戸児である。家従は大抵三十代の男であるのに、この男は四十を越していた。僕は家従等に比べると、この男が余程賢いと思っていた。
　或る日銀林は銀座の方へ往くから、連れて行って遣ろうと云った。その日には用を済ませてから、銀林が京橋の側の寄席に這入った。
　昼席であるから、余り客が多くはない。上品に見えるのは娘を連れた町家のお上さんなどで、その外多くは職人のような男であった。
　高座には話家が出て饒舌っている。徳三郎という息子が象棋をさしに出ていた。夜が更けて帰って、閉出を食った。近所の娘が一人やはり同じように閉出を食っている。娘は息子に話し掛ける。息子がおじの内へ往って留めて貰うより外はないと云うと、娘が一しょに連れて行ってくれろと頼む。息子は聴かずにずんずん行くが、娘は附いて来る。おじは通物である。通物とは道義心の  なる人物ということと見える。息子が情人を連れて来たものと速断する。息子が弁解するのを、恥かしいので言を左右に托しているのだと思う。息子に恋慕している娘は、物怪の幸と思っている。そこで二人はおじに二階へ追い上げられる。夜具は一人前しか無い。解いた帯を、縦に敷布団の真中に置いて、跡から書くので譬喩が  になるが、樺太を両分したようにして、二人は寝る。さて一寐入して目が醒めて云々というのである。僕の耳には、まだ東京の詞は慣れていないのに、話家はぺらぺらしゃべる。僕は後に西洋人の講義を聞き始めた時と同じように、一しょう懸命に注意して聴いていると、銀林は僕の顔を見て笑っている。
「どうです。分かりますかい」
「うむ。大抵分かる」
「大抵分かりゃ沢山だ」
　今までしゃべっていた話家が、起って腰を屈めて、高座の横から降りてしまうと、入り替って第二の話家が出て来る。「替りあいまして替り栄も致しません」と謙遜する。「殿方のお道楽はお女郎買でございます」と破題を置く。それから職人がうぶな男を連れて吉原へ行くという話をする。これは吉原入門ともいうべき講義である。僕は、なる程東京という処は何の知識を攫得するにも便利な土地だ、と感歎して聴いている。僕はこの時「おかんこを頂戴する」という奇妙な詞を覚えた。しかしこの詞には、僕はその後寄席以外では、どこでも遭遇しないから、これは僕の記憶に無用な負担を賦課した詞の一つである。

　　　　　　　　＊

　同じ年の十月頃、僕は本郷壱岐坂にあった、独逸語を教える私立学校にはいった。これはお父様が僕に鉱山学をさせようと思っていたからである。
　向島からは遠くて通われないというので、その頃神田小川町に住まっておられた、お父様の先輩の東先生という方の内に置いて貰って、そこから通った。
　東先生は洋行がえりで、摂生のやかましい人で、盛に肉食をせられる外には、別に贅沢はせられない。只酒を随分飲まれた。それも役所から帰って、晩の十時か十一時まで飜訳なんぞをせられて、その跡で飲まれる。奥さんは女丈夫である。今から思えば、当時の大官であの位閨門のおさまっていた家は少かろう。お父様は好い内に僕を置いて下すったのである。
　僕は東先生の内にいる間、性慾上の刺戟を受けたことは少しもない。強いて記憶の糸を手繰って見れば、あるときこういう事があった。僕の机を置いているのは、応接所と台所との間であった。日が暮れて、まだ下女がランプを点けて来てくれない。僕はふいと立って台所に出た。そこでは書生と下女とが話をしていた。書生はこういうことを下女に説明している。女の器械は何時でも用に立つ。心持に関係せずに用に立つ。男の器械は用立つ時と用立たない時とある。好だと思えば跳躍する。嫌だと思えば萎靡して振わないというのである。下女は耳を真赤にして聴いていた。僕は不愉快を感じて、自分の部屋に帰った。
　学校の課業はむつかしいとも思わなかった。お父様に英語を習っていたので、 とかいう人の字書を使っていた。独英と英独との二冊になっている。退屈した時には、 という語を引いて  という語を出したり、 という語を引いて  という語を出したりして、ひとりで可笑しがっていたこともある。しかしそれも性欲に支配せられて、そんな語を面白がったのではない。人の口に上せない隠微の事として面白がったのである。それだから同時に  という語を引いて  という語を出して見て記憶していた。あるとき独逸人の教師が化学の初歩を教えていて、硫化水素をこしらえて見せた。そしてこの瓦斯を含んでいるものを知っているかと問うた。一人の生徒が   と答えた。いかにも腐った卵には同じ臭がある。まだ何かあるかと問うた。僕が起立して声高く叫んだ。

　教師はやっと分かったので顔を真赤にして、そんな詞を使うものではないと、懇切に教えてくれた。
　学校には寄宿舎がある。授業が済んでから、寄って見た。ここで始て男色ということを聞いた。僕なんぞと同級で、毎日馬に乗って通って来る蔭小路という少年が、彼等寄宿生達の及ばぬ恋の対象物である。蔭小路は余り課業は好く出来ない。薄赤い頬っぺたがふっくりと膨らんでいて、可哀らしい少年であった。その少年という詞が、男色の受身という意味に用いられているのも、僕の為めには新智識であった。僕に帰り掛に寄って行けと云った男も、僕を少年視していたのである。二三度寄るまでは、馳走をしてくれて、親切らしい話をしていた。その頃書生の金平糖といった弾豆、書生の羊羹といった焼芋などを食わせられた。但しその親切は初から少し粘があるように感じて、嫌であったが、年長者に礼を欠いではならないと思うので、忍んで交際していたのである。そのうちに手を握る。頬摩をする。うるさくてたまらない。僕には  たる素質はない。もう帰り掛に寄るのが嫌になったが、それまでの交際の惰力で、つい寄らねばならないようにせられる。ある日寄って見ると床が取ってあった。その男がいつもよりも一層うるさい挙動をする。血が頭に上って顔が赤くなっている。そしてとうとう僕にこう云った。

　隣室から廊下に飛び出す。僕のいた部屋の破障子をがらりと開けて跳り込む。この男は粗暴な奴で、僕は初から交際しなかったのである。この男は少くも見かけの通の奴で、僕を釣った男は偽善者であった。
「長者の言うことを聴かなけりゃあ、布団蒸にして懲して遣れ」
　手は詞と共に動いた。僕は布団を頭から被せられた。一しょう懸命になって、跳ね返そうとする。上から押える。どたばたするので、書生が二三人覗きに来た。「よせよせ」などという声がする。上から押える手が弛む。僕はようよう跳ね起きて逃げ出した。その時書物の包とインク壺とをさらって来たのは、我ながら敏捷であったと思った。僕はそれからは寄宿舎へは往かなかった。

